STAND BY ME ?

Designed by Takuto Ohta

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「Stand by me ?」は限りなく遠い未来を想定したものである。止めどなく生産されるモノによって排出されるダイオキシンや追いつかないゴミ処理の問題から生まれた病原菌によって感染症がパンデミックし人類が大幅に減少した世界Xにおけるデザインや価値について考察した。現代では多様化による選択肢の多さこそが人に自由を与え、幸福にすると信じられている。しかし、選択をするたびに無意識の喪失感に襲われ続けていることを知っているだろうか?何かを選択するということは、裏を返せば選択しなかった何かを失うことと同義なのである。

 

「世界X」においてモノを創造や廃棄することに対して恐怖を抱いており、その無意識の喪失感でさえ嫌悪するようになった。その感情に抗う手段として「再生」に対して価値を見出すようになっていった。その昔、西洋で石に永遠を感じ、東洋が木の朽ちてく姿にはかなさを価値として捉えていたように、その世界においてモノの廃棄や創造に対する価値は薄く、「再生」に価値を置いている。それは今までモノを廃棄することにためらいの無かった人が唯一捨てることのなかったモノの中に肉体があるからだろう。それは再生を繰り返すことで人に所有され続けてきた。この世界Xの彼らは新しく生まれる新生児に同じDNAを使用し作られる椅子が与える。それは所有者のの身体的特徴を引き継ぎながら成長をしてゆく。よく使い触る部分の皮膚は硬くなり、体重がかかる部分は太く大きなものに育つ。そして、傷ついた場所にはかさぶたができ、数日できれいに治る。これはモノを粗末に扱ってきた人間の贖罪であり、戒めである。

 

私はこの椅子を「肉(chair)」と名付け、写真を媒体として作品にした。「chair」は英語で椅子、フランス語では肉体という意味があり、哲学において私たちが捉えることのできるパースペクティブ的で一面的な表面の「見えるもの」に対して、認識していても視覚として捉えることのできない裏側に存在する「見えるものの見えないもの」をモノの奥行とし、そこに存在する本質的な部分を肉(chair)と呼ぶ。つまり、モノの形態ではなくそのモノの時間や経験までも内包した「見えるものの見えないもの」を知ろうとすることが大切なのであり、現代に蔓延る問題に考えを巡らせるところにこの作品の本質がある。今回、写真を表現の媒体として選んだのにも理由がある。この2枚の写真は2人の女性を多視点から捉えコラージュしたものである。それは人が一度に見ることのない肉体の集合で、手法としてはキュビズムを用いている。しかし、ピカソやブラックのように対象の極端な単純化は行わず、その境界をあいまいにすることで残るリアルな身体的特徴によって生まれるリアリズムを優先した。  

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