RUBBISH THINGS

Designed by Takuto Ohta

私は「令和」が一つの「モノ」として消費されたと感じた。かつては国を司った元号でもだ。飢えた現代人は貪るように他人が創造する「モノ」を矢継ぎ早に求め、満たされることのない空腹を満たせると信じ盲目的に突き進んでいる。そんな世界で生み出されるモノはすぐに消費され忘却の彼方への一途を歩む。人間中心主義により加速してゆく消費社会は人とモノの関係を乖離させるだけではなく人ですら消費の対象にし始めていることに気が付かなければならない。私はデザインという立場から「令和」における人間中心主義を見つめることにした。

 

 

人によってモノは無機的にデザインされている。それは人がモノを空間に固定するためのフォルムや質量である。与えられた肉体によって縛られ空間に静止するモノからは、どこか哀愁が漂う。そこで私はあえて有機的なモノを提案することにした。人によって空間に固定されることを拒み、心地のいい居場所を自分で探す。そんな生物のようなモノだ 「RUBBISH THINGS」は人に縛られることなく多脚を駆使し動く事ができる。自然や人、環境を利用しながら移動する術が肉体に備わっている。それはモノとして人を拒絶しているのではなく、共生する中で自分の存在価値を認めて欲しいだけなのである。押されたとしても踏ん張り戻ってくる。そんな姿にモノに芽生え始めた新たな「意思」を感じることができるだろう。

 

 

「RUBBISH THINGS」は機能を特別求められずこの世に生まれた特異な存在だ。現代においてただの「ゴミ」でしかないのかもしれない。機能のないくだらないものだと思うかもしれない。しかしモノとして初めて消費されることなく自由にこの世界を謳歌することのできる「RUBBISH THINGS」は、不自由な自由の中で生きる現代人が求めなければならない存在なのかもしれない。

Things are designed inorganically by people. They take forms and mass that were meant to stay still in one place. Fixed and bound by given physical bodies , they convey an air of helplessness somehow. “RUBBISH THINGS” are equipped with ways to move around using people or natural environment. It doesn’t mean that they reject people, but they just want to coexist with people and to be recognized of their values. When pressed forward they resist and come back to where they were. They move around to find a comfortable place themselves. For the first time, one might discover “a will “that has begun to grow in things.

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2019 COMITE COLBERT AWARD Grand-Prix